論文

公開件数: 24 件
No. 掲載種別 単著・共著区分 タイトル 著者 誌名 出版者 巻号頁 出版日 ISSN DOI URL 概要
1 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
横井小楠と『書経』―なぜ「二典三謨」の篇を重んじたのか―
北野雄士
大阪産業大学論集 人文・社会科学篇

23, 25-43
2015/02/28



本論文は横井小楠がなぜ『書経』の中で特に堯や舜という古代中国の神話的皇帝の描かれている諸編(「二典三謨」)を重視したのかを考察し、その諸編が君臣間の率直な討論及び徳性と能力による後継者選抜の物語を含み普遍的で開かれた政治理念に立脚しているからであると結論づけたものである。
2 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
横井小楠と『近思録』―「三代」理念の受容を巡って―

大阪産業大学論集 人文・社会科学篇 

19, 83-104
2013/10/31



横井小楠の政治理念の基軸をなす「三代の理念」の形成に朱子・呂祖謙編の『近思録』の精読が与えた影響を、両者に共通な考え方や用いられている語句に基づいて考察した論考。
3 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
横井小楠における「三代」理念の展開
北野 雄士
大阪産業大学人間環境論集

12, 1-23
2013/03



横井小楠の三代理念について、30代までの前期と40代以降の後期との間の連続性と非連続性を考察した論文。修養に基づく仁政という大原則には変化はないが、後期になって西洋文明との接触や越前藩で殖産興業に関与したことなどによって、その政策論は近代国家にふさわしいものに変化した。
4 (MISC)総説・解説(大学・研究所紀要)
単著
横井小楠30代における「三代」理念の形成
北野 雄士
大阪産業大学論集 人文・社会科学編

16, 35-57
2012/10



本論文では横井小楠が夏、殷、周の治世を理想とする三代の理念をどのように形成し、なぜ30代半ばにこの理念を唱えたのかを考察した。三代理念提唱の思想的契機としては、小楠が天保14年肥後藩士と始めた『近思録』会読が考えられる。『近思録』は、己を修めて先王の道を天下に及ぼすという三代の理念を、北宋の大儒の言葉を通じて強調する。社会的背景には、天保10年以降の肥後藩における米価下落や天保14年の台風災害による民衆の窮乏がある。
5 研究論文(学術雑誌)
単著
横井小楠と『南朝史稿』-「一心之公私」論による後醍醐天皇批判-
北野 雄士
横井小楠と変革期思想研究

5, 50-67
2010/07



本稿では、横井小楠が30代から40代初めに書いた漢文「南朝史稿」(未完)について、①執筆動機、②込められたメッセージ、③小楠の為政者論の中での位置を考察した。その結果、①について、南朝の忠臣への敬慕、後醍醐天皇批判を、②について、内部抗争が収まるかどうかは藩主の心次第という、水戸藩士へのメッツセージを、③について、「南朝史稿」の「祖宗之天下」-「一身之私」の枠組と、30代半ばの「三代」-「私智」の枠組との類似性を指摘した。
6 (MISC)総説・解説(大学・研究所紀要)
単著
「人に忍びざるの政」を目指して-横井小楠の政策論と『孟子』引用

大阪産業大学人間環境論集

9, 23-40
2010/03



幕末における肥後藩改革派の理論的指導者であり、越前藩政や幕政にも深く関与した横井小楠は30代以降、政策論や書簡の重要な箇所で、孟子の言葉を引用している。小楠が孟子のどのような言葉を引用したかを調べ、孟子の思想のどのような側面に共鳴したかを考察すると、為政者は民衆の生活苦に触れて生じるあわれみの心を政治に拡充して、民衆をいつくしむ政治を行わなければならないという仁政思想を特に受容していたことが分かる。
7 (MISC)総説・解説(大学・研究所紀要)
単著
水戸学と幕末武士層ー横井小楠による受容と批判をめぐって
北野 雄士
大阪産業大学人間環境論集

7, 43-65
2008/06



本論文では横井小楠と水戸学の関係を考察した。小楠は20代水戸学的な尊王攘夷思想の傾向があったが、30代以降水戸学の形式的な歴史叙述を批判し、朱子学の立場から神道を根本とする水戸学との違いを自覚していた。ペリーが来航した45歳の時には一時攘夷を唱えたが、その後西洋文明を学び、開国して西洋文明を摂取して国力を高め、平和国家を目指すべきだと考え、表面的な武力の充実と節倹を主張する水戸学を批判するようになった。
8
単著
誠意の工夫から真の経済へ-横井小楠の政治思想と彼に影響を与えた武士たち-

大阪産業大学産研叢書

24, 135-164
2005



 幕末の危機的状況の中で、儒学に行動の指針を求めようとした肥後藩士横井小楠が、三人の武士出身の儒者、熊沢蕃山、大塚退野、平野深淵から受けた影響を考察した論文。小楠は、蕃山からは誠意の工夫という自己修養に基づく統治、退野からは聖人の教えに対する信心の重要性、深淵からは時勢に応じて堯舜の道を実現すべきことを学んだ。小楠は聖人の道の真理性を確信し、修己治人の思想の基づいて、幕末の流動的状況に柔軟に対処しようとした。
9
単著
文久2~3年の政治危機と横井小楠‐献策に込められた究極目的は何か‐

大阪産業大学論集 人文科学編


2005



 横井小楠は文久2年から3年にかけて松平春嶽の側近にあった時期に様々な献策を行なっている。本稿はその時期の代表的な三つの献策を分析し、献策に込められた究極目的を考察したものである。小楠は日本の国論が分裂して内乱が正じ、欧米諸国が国政に介入することを恐れ、文久2年には全国大名会議、文久3年には、関白、将軍、大名に欧米代表を加えた国際会議の開催を提唱した。このような提案がなされたのは、国論を統一し内乱を回避して日本の独立を維持するためである。
10
単著
横井小楠と荻生徂徠-思想の基底にある儒教文化と理想の社会像を巡って

大阪産業大学論集 人文科学編

112, 17-32
2004



 横井小楠と荻生徂徠が受容した儒教文化と両者の政策論の比較を通じ、二人の理想社会像の根本的相違を考察した論文。二人は儒教的「安民思想」を共有していたが、その具体的内容は異なっていた。徂徠は武士層の政治的支配力の強化を目標とし、民衆の生計はその結果として維持されれば良いと考えたのに対し、小楠は民衆の平和で豊かな生活を目指して近代国家の創出と民富の増大を図り、武士層の維持には拘泥しなかった。
11
単著
横井小楠と坂本龍馬-その共通性と異質性

大阪産業大学論集人間環境論集

3, 45-59
2004



 幕末、志士として活躍した横井小楠と坂本龍馬の共通性と異質性を思想と行動の両面から解明しようとした論文。両者はともに、公論に基づく政治による国論統一と大政奉還とによって内乱を回避して日本の独立を維持し、将来日本が海軍力に裏打ちされた平和主義的な通称国家に発展することを念願して行動した。しかし、小楠が武力ト討幕を否定したのに対し、龍馬は大政奉還が成功しなかった場合には武力討幕もやむを得ないと考えていた。
12
単著
大塚退野、平野深淵、横井小楠ー近世熊本における「実学」の一系譜ー

大阪産業大学論集 人文科学編 107号

107号 P23-38
2002



幕末に儒教的理想主義に基づいて新しい日本の国家像を構想した横井小楠が、同じ熊本藩の儒者大塚退野と平野深淵の二人から受けた思想的影響を考察した論文。
13
単著
正志斎、松陰、小楠における「天」の思想と西洋への対応

大阪産業大学産研叢書

13, 59-79
2001



近世末期に活躍した会沢正志斎、吉田松陰、横井小楠の三人の武士が西洋文明に接触した際に、どのような「天」の思想を採用し、どのように西洋に対しようとしたかを考察した論文。 「天」の思想は、天皇を神聖化したり(正志斎)、究極のところ愛国心とみなされて「合一」の対象となったりして(松陰)、民族主義を強化する方向に働くとともに、その普遍主義的要素が強調されて民族主義を克服する方向にも作用した(小楠)。
14

"横井小楠と水戸学-「修己」,政治,日本文明観を巡って-"

大阪産業大学論集社会科学編

114, 31-41
2000




15

横井小楠と福沢諭吉における文明観と政策論

大阪産業大学論集人文科学編

99, 2005/01/14
1999



 日本の近代化路線に大きな影響を及ぼした横井小楠と福沢諭吉の文明観と政策論を比較した論文。小楠は儒教的文明観に従い、公論重視の政体論、民衆本位の経済政策論、国家平等主義的外交論を展開した。これに対し、諭吉は西洋文明国への仲間入りを目標とし、科学、市民精神、国民国家思想の導入を図り、小楠と同様公論を重視し、民衆本位の経済政策論を唱えたが、その外交論は西洋文明国を頂点とする国際秩序観に基づいていた。
16
単著
大蔵永常の特異性と普遍性-筑波常治とT.C.スミスの永常像を巡って-

大阪産業大学論集人文科学編

91, 179-192
1997



 19世紀前半技術的に合理的な農書を著した大蔵永常の「近代性」の内容を考察するために、筑波常治とT.C.スミスの永常像を検討した論文。筑波常治は、永常が「農本主義」に染まっていない点を根拠に永常の特異性を強調し、T.C.スミスは、近代日本の経済成長の前史として、江戸後期の農業生産力の上昇に注目し、永常を生産力上昇の思想的技術的担い手の典型例とみてその普遍性を強調した。
17
単著
大蔵永常研究史と残された課題

大阪産業大学論集 社会科学編

100, 69-82
1995



 江戸時代後期、主に大阪、江戸で活躍した農学者、大蔵永常は従来、その農業技術及び経済観の合理性が注目されてきた。  本論文は、①明治以来の永常研究史を概説した上で、②技術的、経済的合理性に加えて「国益」増大への関心及び公共精神の内容を明らかにし、③更に江戸時代の農学者、農業技術者、一般農民の中に永常を位置づける作業の一環として、同時代の近江の養蚕家、成田重兵衛との思想的比較を行ったものである。
18
単著
日本近代化再考-大蔵永常と二宮尊徳-

私学研修

135・136, 24-32
1994/12



 本稿は、日本の近代化と近世農民の思想との関連を探究する準備作業として、共に19世紀の前半に活躍した大蔵 永常と二宮尊徳の思想的特質を、比較により解明しようとしたものである。 共通点は科学的思考、民衆を撫育する義務を領主に課したことである。  しかし、永常は民衆の利潤追求を肯定し、経済合理的農業経営を勧めたのに対し、尊徳は報徳思想に基づき、民衆に対して欲望の制限、領主への報恩のための勤労、公共のために富を使うことを要求した。
19

TatとEntsagung-『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』におけるヴェーバーのゲーテ理解

大阪産業大学論集 人文科学編

77, 37-50
1992




20
単著
ウェーバー職業観の基底-BerufとPersonlichkeitの関連を巡って

大阪産業大学論集社会科学編

85
1991



 職業(Beruf)に対するマックス・ウェーバーの見解の根底にはPers?nlichkeitの概念によって表現される、価値への持続的関係を重視する人間観かある。ウェーバーにとってBerufはSacheに対する禁欲的献身であり、またSacheは価値によって命じられた行為の規範であるから、Berufの実践すなわちSacheへの献身は価値を行為の世界で実現してゆくこと、つまりPers?nlichkeitを日々創造してゆくことに他ならない。
21
単著
マックス・ウェーバーの職業観-「価値自由」論文におけるSacheの用例を手掛りに

大阪産業大学論集社会科学編

78
1990



 マックス・ウェーバーは自らの職業観の核心を、Sacheに対する献身に求めている。従来Sacheは「事物」、「事柄」などと訳されてきたが、そのような訳ではSacheに対する献身の意味は不明のままである。そこでウェーバーがSacheを用いて職業観を表明している論文「社会学・経済学における『価値自由』の意味」の一節に基づいてSacheの意味を探求すると、Sacheは「事物」や「事柄」ではなく、職業上の義務つまり「職務」や「任務」という意味なのではないかという説が得られる。
22 (MISC)その他記事
共著
鳥取県の地方議員
居安正、春日雅司、依田博、北野雄士


49-68
1985



 文部省科学研究費助成調査報告書:本調査報告は、鳥取県下の地方議員を対象とするアンケート調査の概要である。第4章は地方議員の集票行動を扱っている。調査結果を統合すると、地方議員はまず親族、地区組織、友人などの身近な人間関係に基づいて集票し、それでも当選できない場合、政党、商工団体、農業団体などの既存の組織に支援を求めたり、後援会を組織したりしていることが明らかになる。
23
単著
地方議員の集票行動-地区推薦と後援会

ソシオロジ

93, 57-76
1985



 地方議員の多様な集票行動の中から、日本の政治文化を考える上で重要な地区推薦と後援会とに関わる行動を取り上げ、その行動を規定する要因を鳥取県下の地方議員を対象とする調査結果に基づいて考察した論文。従来の研究は第一次産業就業者人口比率の低下という意味での「都市化」を主要な規定要因と考えてきたが、本論分は当選に必要な票数や支援団体もまた規定要因である可能性が高いことを明らかにしている。
24
単著
ウェーバー民主主義思想の再検討-モムゼンの問題と方法を手掛りに-

年報人間科学

4, 161-175
1983



 第一次世界大戦中及び直後におけるマックス・ウェーバーの政治論文を題材として、ウェーバーの政策論の根本理念を探求し、大戦後に「人民投票的指導者民主制」が提案された理由を考察した論文。その結果、ウェーバーの政策論の根底に、(1)ドイツ国民及び指導者の政治的成熟、(2)ドイツ国家の意志決定の自由、(3)ドイツ国民の意志決定の自由、の要請が一貫して存在することが判明した。