論文

公開件数: 20 件
No. 掲載種別 単著・共著区分 タイトル 著者 誌名 出版者 巻号頁 出版日 ISSN DOI URL 概要
1 (MISC)速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)
共著
フランスにおけるアクチュアルプレイの現況
MENANT Julien, YAMAMOTO Kohsuke, SOGA Chiaki
人間環境論集
大阪産業大学学会
20, 139-167
2021/03/31




2 研究論文(大学,研究機関紀要)
共著
遊びとゲームのヴァーチャル化:ゲーム空間のグローカリゼーション
曽我千亜紀、MENANT Julien、山本晃輔
人間環境論集
大阪産業大学学会
20, 89-104
2021/03/31




3 研究論文(学術雑誌)
共著
日本語版ゲーム没入感尺度(GEQ)の信頼性および妥当性の検討
山本晃輔、曽我千亜紀、MENANT Julien
パーソナリティ研究
日本パーソナリティ心理学会
29/ 3, 187-190
2021/03/01




4 研究論文(学術雑誌)
単著
学びと遊びの融合は可能か?
曽我千亜紀
名古屋大学哲学論集 特別号
名古屋大学哲学会
209-220
2020/04/01




5 研究論文(大学,研究機関紀要)
共著
日本市場における中国製ゲームアプリに関する研究 : 異文化融合と中国製「日系ゲーム」
劉 雨晨、曽我 千亜紀
大阪産業大学人間環境論集
大阪産業大学学会
19, 1-24
2020/03/30




6 (MISC)速報,短報,研究ノート等(大学,研究機関紀要)
単著
友情と尊重再考 ---- デカルトからアランへ
曽我千亜紀
大阪産業大学論集 人文・社会科学編
大阪産業大学学会
36, 71-81
2019/06/28




7 研究論文(大学,研究機関紀要)
共著
JRPGはジャンルとして成り立つか?
グローバル時代の文化遺産
ムナン・ジュリアン、曽我千亜紀、山本晃輔
大阪産業大学
人間環境論集
大阪産業大学学会
18, 31-48
2019/03/30




8 (MISC)研究論文
共著
人間にとってゲームとは何か ---- 真面目に遊ぶことの哲学
曽我千亜紀、山本晃輔、ムナン・ジュリアン
大阪産業大学
人間環境論集

18, 49-63
2019/03/30




9 (MISC)研究論文

「群衆から集合的知性へ」

大阪産業大学人間環境論集

15
2016




10 (MISC)研究論文
単著
友情と尊重

大阪産業大学人間環境論集

14
2015/03




11 研究論文(大学,研究機関紀要)
単著
贈与としてのコミュニケーション

大阪産業大学人間環境論集

13, 13-24
2014/03




12 研究論文(学術雑誌)
共著
情報検索から情報創造へ ---- 知の転換に向けて
曽我千亜紀、井上寛雄、山田庸介、米山優
日本社会情報学会『社会情報学研究』

16/ 1, pp. 53-66
2012/01



インターネットとはデータ集積空間だという理解がある。その際、情報検索の技術を磨くことが求められる。だが問いと答えは一対一という対応関係に集約されるようなものなのか?理想の検索は情報検索の対象をユーザ自身にも気づかれていない欲望にまで広げることである。それは情報と切り離しえない人間を検索結果として提示できるようなソーシャブル・サーチの可能性を探ることである知をダイナミックなものとして捉え直すことで、私たちは情報創造の新たな可能性を探求することができる。
13 研究論文(学術雑誌)
共著
サイバースペースにおける倫理的可能性 ---- 新しい社会的連繋を目指して
曽我千亜紀、山田庸介、井上寛雄、清水高志、米山優
日本社会情報学会『社会情報学研究』

13/ 2, pp. 67-79
2009/09



サイバースペースにおいて、私たちはこれまでならば出会うことのなかった他者と、時間や空間を越えて出会う。その際、他者と関係を取り結ぶこと、とりわけ社会的連繋を構築することが喫緊の課題として提出される。これはまさしく倫理の問題である。超越的な次元からの強制としての倫理ではなく、しかし対症療法的ではない倫理はありうるか。このような問題意識に基づき、本論ではサイバースペースの特性を生かした倫理、誰もが参加し関わり合うことのできる空間独自の倫理の可能性を探求している。
14 (MISC)研究論文
単著
『規則論』における想像と心身合一の問題 ---- 認識と問題解析における想像の役割
曽我 千亜紀
『名古屋芸術大学研究紀要』

30, pp. 217-226
2009/03



デカルトの初期の著作『規則論』における 《ingenium》は、もともと「精神」と訳されてきたが、「想像に助けられた知性」と捉えるのが妥当である。なぜなら、そこには身体的器官でもある想像が精神の力として働くことが想定されているからである。本論では、デカルトの著作の中で想像が最も積極的に捉えられている『規則論』に心身問題を敢えて読み込み、心身合一を論ずるための新たな視点を提供する。
15 研究論文(学術雑誌)
共著
サイバースペースにおける相互的修習 ---- 情報倫理学の視点から
曽我千亜紀、井上寛雄、清水高志、米山優
情報文化学会『情報文化学会誌』

15/ 2, pp. 25-31
2008/11



サイバースペースにおいては、その越境性ゆえに従来の枠組みでは捉えきれない諸問題が生起している。この空間で他者とどのような関係を築いていくのかは大きな問題の一つである。本論ではまず、他者概念の捉えられ方によって、コミュニケーションの意義が異なることが示される。その上で他者との共生の可能性を見出すために、どのように他者を承認することが可能であるかを倫理的視点から論ずる。他者から学び、他者に何事かを教えるという相互的修習の考え方が倫理の一つの可能性として示される。
16 研究論文(学術雑誌)
単著
Une autre dimension de l'union de l'âme et du corps ---- De la conception de l'imagination dans les Regulae
SOGA Chiaki
中部哲学会『中部哲学会年報』

40, pp. 112-122
2008/10



デカルトが心身合一を証明する際、最初に言及する想像は、これまで中心的テーマとして取り上げられてこなかった。本論では心身合一という事態を説明しうる想像という概念の二面性、すなわちその身体的側面と精神的側面について考察している。デカルトはなぜ想像から感覚へと論を移し、想像の議論へと戻らなかったのか。このとき『規則論』における想像概念の理解が、『省察』や『哲学原理』へと受け継がれていることを理解しなければならない。こうして心身合一の新たな側面が浮き彫りにされる。
17 研究論文(学術雑誌)
単著
情報のリアリティはどこから生まれるのか?
曽我 千亜紀
名古屋大学情報科学研究科情報創造論講座, Nagoya Journal of Philosophy

Vol. 7, pp. 101-116
2008/03



同じ一つの出来事から相互に矛盾する複数の情報が引き出されてくるのはなぜか。問題はその矛盾性を指摘しようにも、元となった出来事は消え去ってしまっていることである。素朴実在論に基づいて情報間の比較を行うこともできないし、情報間にいかなる存在論的差異も認めない立場を取ることもできない。第三の途を探究するにはリアリティ概念の理解を根本から変更する必要がある。本論では、リアリティ理解の変容を通して、リアリティと情報の新たな関係が可能であることを示す。
18 (MISC)研究論文
単著
情報概念の哲学
曽我 千亜紀
名古屋大学大学院人間情報学研究科情報表現論・創造論講座,『表現と創造』

1, pp. 43-50
2000/03



情報を哲学的に考察するとき、その主体を分析しなければならない。その際『省察』におけるデカルトの懐疑から我にいたる議論は有効であるように思われる。だが、理性主導の精神的主体に重きを置きすぎれば身体の重要性が忘却される。それでは情報の生成の場面は明らかにされない。実際は、生命のレベルに遡って捉え直された身体を精神と共に考えることで、心身合一の相を分析することで情報がどのように生まれてくるかが浮き彫りになる。本論では身体性を重視する視点から情報創造の新たな側面が提示される。
19 (MISC)研究論文
単著
情報の哲学的考察に関する試論
曽我 千亜紀
名古屋大学大学院人間情報学研究科・情報文化学部,『情報文化研究』

11, pp. 121-138
2000/03



情報という概念は、これまで主に「情報工学」の分野において、量に換算しうるものとして捉えられ、いかに早く正確にそれを伝達するかということが目指されていた。しかし、情報が既に在り、この先も存在するという前提はそれほど強固なものではない。本論ではまず、情報が生成する場面を考察する。さらに、情報の因果論を分析し、情報を情報として捉える主体の考察へと進む。最後に、情報の本来的意味を語源的に辿りながら、情報概念を哲学的に捉え直すことを試みる。
20 研究論文(学術雑誌)
単著
デカルトにおける神の存在証明 の考察 ----「第一証明」における因果の原理と作用因をめぐって ----
曽我 千亜紀
中部哲学会,『中部哲学会年報』

31, pp. 49-62
1999/03



デカルトにおける神の存在証明は通常、三つに分類される。本論ではその中のア・ポステリオリな「第一証明」を取り上げ、デカルトが自らのうちにある神という観念からどのように実際の存在へと到達しえたのかを考察している。このとき重要なのは、ア・ポステリオリを、「予め何ものをも前提として立てることなく」という意味において捉えることである。この視点に立つことによって、デカルトが無限の観念から神の存在を引き出すことに成功したことを示している。